インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

  • 昨夜は、毎年恒例のYPOクリスマスパーティに赴いた。プログラムには、「盲学校」の子どもたちによるコーラスが披露されるとある。バンガロールにはいくつもの盲学校があるから、まさかそれが、Jyothi Sevaだとは思わなかった。会場に入り、シスターCleaとピアノを弾いているPraveenの姿が目に飛び込んできた瞬間、感激で胸がいっぱいになった。

    Jyothi Sevaは、ミューズ・クリエイションのメンバーと共に幾度か訪問し、またミューズ・チャリティーバザール&コンサートのときには出演してもらうなどの交流があった。メンバーだったAsamiさんが、Praveenのピアノ指導をしていた時期もあり、思い出は尽きない。

    わたしがインドに移住して、微力ながらも社会貢献活動に関わり始めて18年になる。この間の経験を通して、数えきれないほどの学びがあった。そこには反面教師も含め、「慈善活動とは?」「社会貢献とは?」「社会的責任とは?」という本質を問いただされるような出来事も、少なからずあった。

    実は昨日の昼間も、とある慈善団体の負の実態を知り、少し気が滅入っていた。そこで「残念に思う」のは、彼らを勝手に美化していた、わたし自身の問題である。他人に自分の理想を投影して、他人の在りように一喜一憂するのは、ある意味、わたしの自分勝手である。

    人は人。

    わたしは、わたしにできることを、真摯にやり続ければいいのだ……と自分に言い聞かせた矢先のクリスマスパーティ。

    2007年に初めてお会いしたときから、少しも変わらぬ、凛とした姿勢で屹立されているシスターCleaを見て、泣けてくるほどうれしかった。傍では、パンデミック時代に一度だけユニットを組んで、Youtubeに動画を上げたPraveenが、変わらぬ様子で鍵盤を叩いている。

    赤いドレスに身を包んだ女性クワイアの中には、Praveenの妻、Eleezaの姿も見える。彼らの歌声は澄んで美しく、心がザバザバと洗われるようだった。

    ‎1人以上、ピアノ、サクソフォン、‎、「‎فوال IITTONCA IITTONCANDY CANDY STATION DECK DECK- CREA‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    1人以上の画像のようです

    2012年にミューズ・クリエイションを創設して以来、パンデミック時代に入るまでの8年間は、毎週金曜日にメンバーを自宅に招いて活動をしてきた。ゆえに、不定期ながらも頻繁に、慈善団体訪問を「準備をしたうえで」実施してきた。

    パンデミック明けにはWhatsAppコミュニティを通しての活動に移行したこともあり、そのときどきのリクエストを反映しながらの活動に移行しているが、慈善団体訪問に関しては、訪問先が限定されてきた。どこを訪問するにも、あらかじめの下調べや心構えが大切だ。事前に遊び道具なども準備したうえで、訪問する必要がある。

    ゆえに、メンバー同士の交流が希薄な現在、いきなり現地集合で訪問するのは、なかなかにハードルが高い。特に盲学校や聾学校、あるいはHIVポジティヴの子どもたちに接するに際しては、最低限の知識や注意事項を共有しておく必要がある。

    そんな次第で、最近では、なじみのある団体2、3カ所を巡るだけになっていた。しかしながら、昨夜の再会を機に、来年はJyothi Sevaに伺いたいと改めて思わされた。

    テーブルの画像のようです

    記録を遡れば、最後にJyothi Sevaを訪れたのは、2018年のこと。わたしにとって、彼らとの再会は、真に、ありがたいクリスマスプレゼントだった。この機会を提供してくれたYPOのクリスマス・パーティに、心から感謝したい。

    次の投稿に、Praveenとわたしのコラボ動画をアップロードします💝

    ジンジャーブレッドクッキー、テキストの画像のようです
    1人以上の画像のようです
    1人以上、クリスマスツリー、テキストの画像のようです
    クリスマスツリー、テキストの画像のようです
    トランペット、スピーカー、バイオリン、サクソフォン、ギター、照明器具、テキストの画像のようです
    1人以上、クリスマスツリーの画像のようです
    写真の説明はありません。

  • 一年を締めくくる昨日の朝は、約1カ月に一度の「猫餌」作りに精を出す。我が家の4猫に加え、夫が世話をしているアパートメントコミュニティの野良猫3匹を含む7猫分だ。写真は前回調理分も載せている。

    最近、肉類やアルコールの消費が少なくなったマルハン夫妻ゆえ、エンゲル係数は下降の一途。翻って、猫餌のための鶏肉、魚、マトンなどは、むしろ高価だ。肉や魚に加え、普段の料理で余った野菜の切れ端(冷凍保存)や、穀物、豆類などを加熱し、撹拌する。かなりの肉体労働だ。猫餌の内容については、以前、猫向けの料理本を購入して勉強したことから、バランスは考えられている。

    市販のドライフードと半分半分を与えているが、それでも冷凍庫がいっぱいになるヴォリュームだ。……なぜわざわざ猫餌を作るようになったかといえば、長男ROCKYの心臓病がきっかけだ。彼があるとき、うずくまって息苦しそうにしていた。病院に連れて行ったところ、先天的な心臓疾患だとのことで、薬を処方された。

    その際、普段のドライフードは食べなかったのだが、わたしが調理した肉類などはしっかり食べることができた。そのときに思ったのだ。猫とて人間と同じ。新鮮な料理を食べた方が身体によいに違いないと。あれから10年余り。我が家の猫らは大禍なく、元気に過ごしている。

    🐈

    そもそも我々夫婦は、猫を好むわけでも、飼うつもりなかった。しかし11年前に長女のNORA姉さんが我が家を住処と決めて以来、その翌年に長男ROCKY、次男JACKを保護。その3年後の2018年には、目がほぼ見えず、瀕死状態の子猫だった次女のCANDYを保護して4猫となった。

    経緯は「マルハン家の4猫」ブログに綴り続けた。最後の更新は2019年で終わっているが、今でも時折、わたしのソーシャル・メディアで猫らを紹介している。

    猫の扱いを知らなかったわたしたちだが、NORAの虜(下僕)になるまでに時間はかからなかった。特に子どものいない我々夫婦にとって、無条件の愛を託せる対象が目の前に現れたことは、大きな変化だった。「悪魔同様に猫が苦手」とさえ言っていたドライヴァーのアンソニーでさえ、猫らの魅力に目覚めてしまい、その後、何匹かの猫を保護。現在、アレキサンダー家(アンソニーの苗字。ゴージャス味)も猫不可欠な状態である。

    猫らにまつわるエピソードは語るに尽きず。

    😼NORA/長女(推定14歳)

    2014年7月、マルハン家に住み着く。当初は庭から出入りして「半野良」状態だった。当時はしばしば、ネズミ、鳩、リス、コウモリといった貢物を携えて帰宅。生傷も絶えず、動物病院へ行く頻度も高かった。マルハン夫妻の猫愛の高まりに伴い、庭に背の高いパーティション(囲い)を設置。数年後に完全なる家猫に。女王気質&グルメ。現在は加齢に伴い、夫の書斎で過ごす時間が最も長い。

    😸ROCKY/長男(推定11歳)

    2015年1月、旧居コミュニティのテニスコートの排水口で、細長く寝転んでいたところを保護。乾季だったため雨水が流れ込むことなく、そこが安全な住処となっていた模様。たくましく育ってほしいとROCKYと名付けたが、温厚で平和な性格。とにかくよく食べる。人の分まで食べるので、おデブなROCKY、略して「デブロ」とも呼ばれる。心臓疾患を患っており、生涯投薬が必要だが幸い元気だ。姉弟妹みんなと仲良くできるニュートラルな性格。毎朝、庭に出すと尻尾をピンと立てて、幸せを全身で表現する。見習いたい。

    猫の画像のようです

    😼JACK/次男(推定10歳)

    2015年12月、旧居コミュニティの地下駐車場で保護。とにかく愛らしかった。小さいころはROCKY兄さんと仲良く、いつも一緒に寝ていた。しかし性格は異なり、神経質で注意深い。食べ物に飛びつくこともない。辛抱強いハンター気質で、獲物(ネズミや鳩、リスなど)を見つけると、超絶集中力を発揮。何十分も微動だにせず、頃合いを見計らって食らいつく。無駄な殺生をするところが悩ましい。しかし人間が与える餌をガツガツ食べたりはしない。いつも冷静。

    猫の画像のようです

    😼CANDY/次女(推定7歳)

    2018年9月、旧居コミュニティの地下駐車場で弱々しい彼女を発見。どうしたものかと迷っていたら、雨の夜、我が家の玄関先でミャオミャオ鳴いていたため保護して病院へ連れて行く。やせ細り、目が炎症を起こしていたが、投薬でたちまち回復。がつがつと食欲が旺盛すぎるほどに旺盛で、当初は甘く可愛い女子を夢見てCANDYと命名したのに、あっという間に「ジャイ子」と化する。先住猫らの猫間関係を撹拌し、みんなに喧嘩をふっかる暴君に。それまでは3猫が自由に出入りしていた人間のヨガ・ルームを自分の部屋としテリトリーを確保。誰をも入れさせない。

    🐈猫好きな方、かつて我がブログのなかで、最も人気があった「猫専用ブログ」もご覧ください。

    🐈マルハン家の4猫(うさぎのアリスの猫レポート)

    パスタの画像のようです
    写真の説明はありません。
    猫、、「番外編:ROCKY日記 番外編: 08/03/2019 ぼくと弟のJACKは、 昨日、 ミホさんに連れられて、 近所の動物診療所に行きました。 1年に一度の、 予防接種を受けるためです。 昔、 ドクターはインドの軍隊の鉄医をしていたそうです。 多分、 馬とかの診察をしていたのだと思い ます。 ぼくは純感な方なので、 注射の針が刺されても、 あんまり気がつきません。 そうすると、 ドクターは 「いい子だね」 と変めてくれます。 JACKはとても敏感なので、 注射の針が刺さった瞬間に、 暴れます。 するとドクターは、 大声で ぐ終わるから、 じっとしなさい!」 と叱ります。 ドクターは、 やさしいんだか厳しいんだか、 よくわからないおじさんです。 「す ドクターは、 いつもいつも、 僕を見て 「太り過ぎだ!」 と言います。 そして、 診療所にある、 人間用の古~い体重計に まずミホさんをのせます。 そしてミホさんの体重」というテキストの画像のようです
  • 28日の午後は、ミューズ・クリエイションの忘年会だった。年末年始は一時帰国や旅行でご不在の方が多いが、毎年必ず、一定数の人たちは、バンガロールで過ごされる。我々夫婦も、パンデミック前の10年余りはアーユルヴェーダグラムに滞在するなど、年末はバンガロールで大人しく過ごしてきた。

    WhatsAppコミュニティで声をかけたところ、大人と子供含めてちょうど20名が集っての、賑やかな午後となった。食事の時間を外したものの、持ち寄ったお菓子や軽食などでテーブルは華やかに。

    昔はヴォリュームたっぷりの各種肉類や、アルコール類をあれこれと準備しての集いが定番だったが、我々夫婦の胃袋の加齢に伴い、自ずと準備するものもヘルシー化が加速。今回は、フルーツや枝豆、とうもろこしやチーズなどを準備。

    それに、ホットワイン「モルドワイン(英)、グリューヴァイン(独)、ヴァン・ショー(仏)」を準備。スパイスは「マサラ・チャイ」に用いるものとほぼ同じ。それにオレンジやリンゴのスライスを加える。

    これはこれで、とてもよい。

    一応、参加者には持ち寄るものを確認したので、被ることなくいい感じだ。しっかり浸かった糠漬けや、スペイン風オムレツ(トルティージャ)、それにIKOI Tokyoの大福やパンなど、どれもおいしい。

    今年のミューズ・クリエイションの一大イヴェントといえば、「日印こども壁画交流プロジェクト」および「日本まつり」だ。この日の参加者の大半が、この催しに関わってくれたメンバーだったことも、とてもうれしかった。

    思うところ、所感は尽きず、書きはじめると長大になりそうなので、大幅割愛。

    一言でいえば、この日もまた「ご縁」に満ちていた。経験を重ねて思うのは、「ご縁」が「ご縁」たる由縁。ご縁を結ぶも自分。放置するも自分。断つも自分。「ご縁」は、偶然のように見えて、実は遍く、自らが選んでいるということ。

    袖振り合うも多生の縁。(道端でたまたま袖が触れ合った見知らぬ人でさえ、何度も生まれ変わった「多生/他生」からの深い縁によるものであり、偶然ではない……という仏教的なことわざ。)

    このひとときを、慈しむ。

    みなを見送って夜。新居コミュニティは30分ほどの停電。自家発電機も故障して、あたりは闇に包まれる。蝋燭の火を灯せば、心が鎮まり、これはこれで美しい。

    善き、午後だった。

    以下、ミューズ・クリエイションの背景について。折に触れて書いているが、改めて記しておく。インド移住後まもない2007年、自分の仕事の傍ら、Muse Social Serviceと称して、社会貢献活動を始めた。バンガロールとムンバイの二都市生活をしていた2年間も間断なく、仕事や旅の合間に活動した。

    その5年後の2012年、Muse Creationを創設。最初の8年間は、常時40名前後、のべ228名のメンバーと共に、活動を続けた。毎週金曜日をオープンハウスにし、毎月のように、慈善団体訪問やらイヴェントやらサリーでランチやら、なにかしらの催しをしていた。若かった。(ミューズ・クリエイション/フェーズ1)

    毎週金曜のオープンハウスの在り方を再考しようと考えていた矢先の2020年パンデミック。閉塞の時代にはYoutubeを通して発信を継続。「オンラインイヴェント」や「無観客ライヴ」や「静かなクリスマスバザール」を実施して、世界との関わりを保った。(ミューズ・クリエイション/フェーズ2)

    そして2023年、パンデミックが明け、新居が完成して新たな拠点が整ったころ、WhatsAppでコミュニティを設置。ランダムに、しかしその都度、真摯に、さまざまな活動を続けてきた。(ミューズ・クリエイション/フェーズ3)

    「フェーズ3」は、曖昧にしてフレキシブル、課題もルールもないけれど、都度、試行錯誤しながら3年間、振り返れば思い出深い時間を育んできた。

    ミューズ・クリエイションには、実績と土壌がある。故に本音を言えば、もっと多くの人たちに、あるいは若い世代に積極的に活用してもらいたい。しかし、メンバーの入れ替わりが多い異境の地ゆえ、思いを共有し、実践してもらうに至るケースは少ない。

    来年は運営に関わってくれるメンバーが増えるよう、発信の方法を見直そうと思う。

    リンゴの画像のようです
    リンゴ、タルトの画像のようです
    写真の説明はありません。
    オムレツの画像のようです
    テキストの画像のようです
    赤ちゃんの画像のようです
    ケーキの画像のようです
    テーブルの画像のようです
  • 静かな午後。聖なる午後。

    4猫らと過ごす、メリークリスマス。

    写真の説明はありません。
    シマリスの画像のようです
    写真の説明はありません。
    写真の説明はありません。
    写真の説明はありません。
    写真の説明はありません。
  • 12月24日。クリスマス・イヴは、新居のディープ・クリーニングに明け暮れた。霊山アルナーチャラでクリスマスを過ごすという夫に誘われたが、わたしは年内、ゆっくり一人、内省する時間がどうしても欲しくて別行動を決めたのだった。

    朝10時半に、いつものお掃除サーヴィスが到着。10名の男子が手分けをして、家の内外を清掃してくれる。もちろん、わたし自身も指示出し&現場監督。毎度、ドライヴァーのアンソニーにサポートしてもらっての大掃除だ。

    わたしはといえば、日本から送っていた書籍を書棚に入れるべく、ライブラリの掃除を兼ねての全面入れ替え。なかなかの肉体労働である。

    今回のチームは、スーパーヴァイザーのお兄さんのプロ意識が高く、かつてなく丁寧に仕上げてくれた。おかげで家中の空気が清浄され、いつも以上に居心地がよい。

    夕方は、コミュニティの中を散策。ここは本当に、夕映えが麗しい。市街から20kmほど離れただけで、月や星がよく見える。気温も、下がる。虫の音、鳥の囀りも鮮やかに、自然の力が強い。

    新しい場所なのに、いつも、とても懐かしい。

    写真の説明はありません。
    たそがれの画像のようです

    軽い夕飯をすませたあとは、月光ライブラリで夜のひとときを過ごす。

    ……至福。

    久しぶりに、アイルランドで買ってきていたウイスキーを取り出して、ほんの少しだけ、飲む。このごろはアルコール摂取量が減ったせいで、家にあるお酒がほとんど減らない。ダブリンの、ティーリング・ウイスキー蒸留所 (TEELING DISTILLERY) を訪れたのは、2019年。思えばあの日に訪れたトリニティ・カレッジのオールド・ライブラリ。あの圧巻の図書館! 最高だったな……。

    お茶、本、テキストの画像のようです

    天井に月を映す。ただそれだけで、異空間。

    ただ、本の背表紙を眺めているだけで、本の表紙を手のひらで撫でるだけで、ページをパラパラとめくるだけで、内省しながらの時間旅行が楽しめる。

    この場所を、たいせつにしよう。

    メリー・クリスマス。

    飲み物、テキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
  • 以下、2021年6月に作成した動画概要欄より抜粋

    ミューズ・クリエイション9周年を記念するかのように、新しいユニットの誕生だ。バンガロールにある盲学校「JYOTHI SEVA」出身のPraveenが、先日公開したSAREESの『アヴェ ・マリア』を聴いて、ぜひ美穂と一緒に歌いたいと連絡をくれたのだ。

    ミューズ・クリエイションでは、バンガロールにあるいくつもの慈善団体を訪問してきたが、JYOTHI SEVAもその一つ。貧困層出自の視覚障害の子どもたちが、自立して生きるための術を教えてくれる場所だ。

    SAREESは、当初ヴァイオリニストのEMIKOさんとわたしとで誕生したが、前回より、やはりミューズ・クリエイションのメンバーでピアノ伴奏を担当してくれていたASAMIさんが参加してくれている。ASAMIさんは、JYOTHI SEVA訪問の際、シスターたちが、子どもたちに音楽を教えてたいとの思いがあることを知り、その後、毎週訪れ、子どもたちのピアノ指導をしていた。

    目の見えない彼らにとって、将来、自立するための教育を受け、更には音楽を学べることが、どれほど幸運なことだったか。

    当時、すでに社会人になっていたPraveenもASAMIさんからピアノを習っており、ミューズ・クリエイションが関わるいくつかのイヴェントにも参加していた。ここ数年は疎遠になっていたが、昨年、ミューズ・クリエイションのYoutubeチャンネルを立ち上げたのを機に連絡。昨年、JYOTHI SEVA同窓生の女性と結婚したことも知った。

    『手をとりあって』を歌おうと提案してくれたのはPraveen。COVID-19で苦しむ人たちに、この曲を届けたいという。

    とはいえ、楽譜も参考となるデュエットの音源などもない。下手にジョインして、ピュアな歌を邪魔しないよう、彼から届いた音源を何度も聴きながら、今回は「脇役」でハモるべく、自分で音をアレンジした。この初めての試みもまた、とても楽しかった。

    ◉JYOTHI SEVA SOCIETY

    1918年、ポーランドで、盲目の修道女によって創設されたフランシスコ修道女会の団体が母体の盲学校。バンガロールに同団体は創設されたのは、1991年のこと。当時は1軒家で、盲目の子どもたちのケアをしていた。

    2003年に現在の校舎が建てられ、日本でいう幼稚園から中学校までの子どもたちを受け入れ、教育する機関として生まれ変わった。中学を卒業した子どもたちは、郊外にある視覚障害者向けの職業訓練校に進むべく、進路が整えられている。

    ここに暮らす子どもたちは、主に歯貧困層の出自であることから、無料で住まいと教育が提供されている。読み書きをはじめ、将来、自立していけるよう、体系的な教育が施されている。また、音楽やダンスなどの情操教育も行われている。過去、ミューズ・クリエイションのメンバーが毎週ピアノを教えに通っていた時期もあった。また、元生徒の一人が、ミューズ・チャリティバザールでピアノ演奏を披露してくれたこともある。音楽の指導も望まれている。(2019年4月)

    【JYOTHI SEVA SOCIETY/ MUSE CREATION 関連ブログ】

    ❤️MIHOが初めてJYOTHI SEVAの活動を知ったOWCのイヴェントのレポート

    ❤️ミューズ・クリエイションが初めてJYOTHI SEVAを訪問した時の記録

    ❤️プラヴィーンほか、ピアノ指導を受けている子どもたちを、チャリティーコンサートに招待

    ❤️バンガロールの合唱団「ロイヤルエコー」のコンサートにプラヴィーンも出演

    ❤️ミューズ・クリエイションが2度目にJYOTHI SEVAを訪問した時の記録https://musecreationindia.com/2016/07/28/jyot

  • わたしたちがバンガロールに移住したのは2005年11月10日。大荷物を携えて深夜、古びた空港に到着した我々は、バンガロール市街に西に位置するホテルTAJ WEST END を目指した。

    今となっては、バンガロールは四方八方に拡大を続けているが、このホテルが創業された英国統治時代、競馬場に面するこのあたりはまさに「西の果て」であった。

    住まいを見つけるまでの数週間を、この緑豊かなホテルで過ごした。個人的に思い入れが深く、同時にバンガロールで最も好きなホテルでもある。

    インド生活20周年を記念して、所感を綴っておきたかったが、気づけば1カ月以上が過ぎている。日々は走馬灯の如く流れゆく。

    昨夜は、知人の50歳の誕生日パーティに招かれて、久しぶりにTAJ WEST ENDへ赴いた。このホテルの門をくぐると、外の喧騒が嘘のように、静謐で穏やかな空気に包まれる。ホテルの周囲には結界が張られているようだと、いつも思う。

    きらびやかなクリスマスのイルミネーションに、心が踊る。今年は新居にも旧居にもツリーを飾っておらず、クリスマスムードに乏しかったこともあり、季節感を受けとめられてうれしい。

    花の画像のようです

    友人に祝福の言葉を贈り、それからは、知人らとの会話や軽食を楽しむ。

    幾度となく記してきたが、インドの場合、パーティの平均的開始時間は8時以降で、ひとまずはカクテルや軽食が供される。賑やかな音楽のパフォーマンスやダンスは不可欠だ。

    そして、夕食がサーヴされるのは早くても10時以降。ホリデーシーズンは、パーティの掛け持ちをする人も多い。

    夜遅くに飲食しがちなインドのソーシャルライフは、そもそも、夜更かしが苦手なわたしにとっては、楽しいとはいえ、なかなかにタフであった。年齢を重ねた昨今は、夫ともども「早めに伺って、早くおいとまする」スタイルに移行している。

    軽食ですでに満足して会場を後にする。帰り際、友人らとすれ違うなど。

    人生を重ねれば、自ずと出会いも増えて、興味関心の輪は広がり、社交の世界も拡大する。一方で、我は我が身ひとつ。自分に向き合う一人の時間を大切にしたいと、強く感じる昨今。

    自分の心の声に耳を澄ましながら、自分に心地よい在り方や距離感で、人々との関わり合いを尊重していきたい。

    写真の説明はありません。
    写真の説明はありません。
    ‎照明器具、スピーカー、群衆、‎、「‎ותתהסח - 마.‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    フレグランス、飲み物、ティーメーカー、、「MASTEND TAJ VORLD CHOCOLATES このま ORLDRENOWNED RENOWNED CHOCOLATES CHOLERCH" "LADERCH"」というテキストの画像のようです
    照明器具、サクソフォンの画像のようです
    1人以上の画像のようです
    、「ついに到着!バンガロア バンガロア ついに到着! 10/11/2005 10/11 3A3иuи ずいぶんと時間をかけて、 んと時間をかけて、ようやくたどり着いたバンガロア。 ようやくたどり着いたバンガロア。 深夜の空港は、 いつものように煌々 と灯が点り、 欧州からの飛行機も到着し、 り、歌けからの取行機も可端し、活気に満ちあふれている。 活気に満ちあふれている。 市節を愛い尽くす抹気ガスも す抹気ガスも、 夜は晴れて、 秋の、 軽くやさしい園が心地よく吹き抜ける。 よく吹き抜ける。 出迎えてくれている、 ホテルのドライヴァーにようやく、 山ほどの荷物を話して、 渋滞のない夜の道 を、 を、ホテルに向かって走り行く。 を、ホテルに向かって走り行く、もう、旅行ではない もう、 旅行ではない。 アメリカに、 帰る場所はない。 ここが、 わた したちのしばらくの、 したちのしばらくの、帰る場所になる。 帰る場所になる。 ・…変な感じだ。」というテキストの画像のようです
    、「新たしき、 新たしき、日々のはじまり 日々のはじまり 11/11/2005 1111と、 1が4つも並んで、 始まりに相応しい日。 小鳥のさえずりで目を覚まし、 と言いたいところだが カラスのけたたましい叫びで即き起こされ、 ヨガをして、シャワーを絡びて、一日をはじめる。 ヨガをして、シャワーを浴びて、 ヨガをして、 シャワーを浴びて、 一日をはじめる。 携帯電話を手配したり、 不動産菜者ヘアポイントメントをいれたりと、 インド生活の準備門始だ。 滞在しているのは、 流しているのは、南国の貴かな様にきまれたHETAUNESTN 南団の帶かな様に包まれたTHET TAJ WEST END. 그 ロニアル建楽の、 クラシックな雰囲気に満ちたホテルだ。 弦所に瑞々し い花が生けられている。 い花が生け 夜、 義災ロメイシュとその愛ウマがやって まて、一緒に食事。THETAJWESTEND きて、一緒に食事。T きて、 一緒に食事。 THE TAJ WEST ENDの 一画にあるベトナム料理店、 Blue Ginger にて。 毎度おなじみ、 キングフィッシャーピアで 乾杯」というテキストの画像のようです
  • If you love Japanese flavors, I really recommend checking out IKOI Tokyo — it just opened in JP Nagar! They have lovely refined Japanese-style baked goods and breads with that elegant, subtle seasoning, plus healthy and tasty home-style Japanese dishes made with high-quality ingredients.

    さすがに師走だけあって、瞬く間に日々が流れる。年末年始はバンガロールで過ごすから余裕あり……と思っているのだが、いろいろと取りこぼしている。新居と旧居を往来したり、猫らと遊んだり、来年の旅を夢想して地図を広げたりしているうちにも。

    以前のわたしならば、取りこぼした「To Do」を拾い集めていたけれど、このごろのわたしはだいぶ、変わった。息切れしないペースで歩いている。節目の還暦を挟んで、意識的に生き方を見直している。絶対にやらねばならないことを最優先で。あとは、肩の力を抜いて楽しいことを優先しながら。

    今はそれでいいと思う。そもそも、それでよかったとも思う。

    写真の説明はありません。

    月曜日の午前中は、市街中心部にある在ベンガルール日本国総領事館へ。所用をすませたあと、ランチを食べてから帰宅することにした。どこへ行こうか……と思い巡らせて直後、閃いた。

    そうだ。JPナガールへ行こう。

    バンガロール中心部から北東部に位置する我が家(旧居)と、南西部に位置するJPナガールは、ほぼ対角線上に位置する。距離にすれば15 km 程度だが、車での移動では1時間を軽く超える。ここ10年ほども、足を運んでいない。同じ市内とはいえ、遠い。

    バンガロールの都市の急拡大は、その人口推移を見るだけでわかる。わたしが移住した20年前の人口は約570万人ほど。そして現在はといえば、1,400万人。東京都の人口とほぼ同じなのだ。半世紀前に遡れば、2〜300万人程度である。つまり、瞬く間に人口が何倍にも増えているわけで、それに伴うインフラストラクチャー不全や環境汚染、その他諸々、推して知るべし、である。

    それと同時に、潜在力や可能性の高さに関しても、言うに及ばず。

    照明器具、テーブル、屋内の画像のようです
    テーブル、照明器具、屋内の画像のようです

    目指すは、数カ月前、JPナガールにオープンしたばかりの日本風カフェベーカリー&和食の店「IKOI Tokyo」に赴くためだ。シドニーに生まれ日本で育ったSaraと、バンガロール出身のハズバンド、Nithinによって誕生したこの店。オープニングの招待を受けていたが、行けずじまいだったのだ。

    Saraさんから連絡を受けて初めてお会いしたのは半年前。店舗の内装工事から従業員の確保、メニュー作り……と、想像するだけでも途轍もない荒波を乗り越え、「わずか数カ月遅れ」で開店に漕ぎ着けたことに敬服した。

    IKOI(憩い)という店名を聞いた当初は、その名の通り、休息やくつろぎ、やすらぎの空間で、日本的な焼き菓子などを楽しめる、アットホームな喫茶店だろうと思っていた。故に、2フロアあるという店舗の規模を聞いた時には、正直なところ広すぎないかと驚いたが、カフェ(喫茶)メニューだけでなく、日本食も提供するとのことで納得した。

    店舗は大通りに面していて、通りすがりの人たちにも入りやすい場所に立つ。店内はすっきりと清潔感が漂い、ゆとりのある空間で、まさに「憩える」雰囲気だ。Saraさんも店にいらしたので、挨拶を交わす。

    ヴァラエティ豊かなメニューを眺め、迷った末にポーク餃子と豚骨ラーメンを注文。わたしの苦手とするMSG(化学調味料)を使用しておらず、吟味された素材の旨味が生きた味付けだ。刺激が強い濃いめの味付けを好むインドの人たちには少し物足りないかもしれないが、わたしにとっては非常においしい、まさに「いい塩梅」の味付けである。

    個人的には、この味付けのままで、濃くしたい人には各自、醤油や塩を追加してほしいなどと思う。

    デザートのシュークリームも生クリームが新鮮で、とてもおいしい。すっかり完食してしまった。

    しばしSaraさんと語り合いつつ、忌憚なく気づいたところを提言。人様のお店ながら、いろいろなアイデアが湧き上がる。コラボレーションをしてはどうかと思われる我がお気に入りのヴェンダー情報などもシェアしつつ……可能性の高さを思う。

    JPナガールが近かったら、しばしば訪れ、他のメニューも試したいと思うのだった。

    食品の画像のようです
    ポーチドエッグ、卵黄、ラーメンの画像のようです
    デザートの画像のようです

  • 日曜の夜。ホテルLeela Palace にあるSpeakeasyへ赴いた。貸切の店内で、シャンパンを片手に軽食を味わいつつ、しばし友人らと語り合う。やがて、ステージの準備が整い、ミュージシャン、Trilok Gurtuが登場。我々は、思い思いの椅子に腰掛け、舞台を見つめる。

    ムンバイに生まれ、現在はドイツを拠点に活動するパーカッション奏者/作曲家のTrilok。インド伝統の打楽器「タブラ」を基盤にさまざまな楽器、非楽器を巧みに用い、ジャズをはじめとするワールドミュージックを融合させた独自の音楽世界を創造。世界各地で多くの人々を惹きつけているという。

    彼の演奏に先立って、今年2月、すばらしい音楽を披露してくれたミュージシャンのRicky Kejが、敬愛するTrilokを紹介。特にタブラ演奏において、彼はインド最高峰だと絶賛するRickyの言葉に、控えめな笑顔を見せたものの……。タブラの何たるかをよく知らぬわたしでさえ、その超絶なる演奏には、瞬時に魂を惹きつけられたのだった。

    そして彼の「手」に目が釘付けとなった。

    「わたしの演奏は……母の手料理のようなものです。母の料理は、目分量でしょう? 今日ある素材を使い、調味料を量ることなく振りかける。全く同じ味を繰り返さない。そういう今日だけの演奏を、わたしもやります」

    全く同じ味ではないが、しかしいつだっておいしい、母の味。そういう音楽なのだろう。

    彼の紡ぎ出す音は……言葉にし難い。それは、地球上の、自然の中にある音の再現であったり、あるいは太古の歴史を蘇らせるような音だったり……。さまざまな民族の伝統的な音や、ジャズや、ヒップホップや、ジャンルを定め難い音の連なりと広がり。

    バケツの水の中に鈴を浸して生まれるシャラシャラという音には、日本の神社の様子が脳裏に浮かび上がった。楽器と定義されるもの以外の道具が紡ぐ独特の音響効果が、とても楽しい。

    中でも、蒸気機関車の音には、個人的に、強く心を打たれた。わたしの最古の記憶 ー2歳のころに見た夜の蒸気機関車の情景ー が脳裏に鮮やかに浮かび上がったのだ。暗闇に照らされた彼の白髪が、蒸気機関車から吐き出された白煙に重なった。

    テキストの画像のようです
    飲み物の画像のようです

    我が両親の故郷は、かつて炭鉱で栄えた福岡の筑豊地方だ。

    1963年「三井三池三川炭鉱爆発」という戦後最悪の炭鉱事故が起こった。その2年後の1965年6月1日、三井山野炭鉱で大規模なガス爆発事故が発生。この事故の直後、運悪く、当時3歳だったわたしの従兄弟が、バイク事故に遭った。彼は病院に運び込まれるも、炭鉱事故の被害者で溢れかえっており……。彼は手当を受けることなく自宅に返され、6月3日に息を引き取った。

    戦後の高度経済成長に伴い、次々に炭鉱は閉山。筑豊は、長屋、校舎、銭湯などの廃屋をひとつひとつ残しながら、静かに廃れていった。

    石炭の採掘の過程で積み上げられた「ボタ山」には、やがて緑が芽生えた。そんなボタ山で遊んだり、廃屋となった銭湯を探検したり、祖母が住む長屋で花火をしたり、虫かごを携えてセミ取りをしたり、赤とんぼや鬼灯を愛でたり、川で精霊流しをしたり……。

    閉山を経て徐々に再生する炭鉱町の情景が、わたしの原風景の一つだ。

    前述の「2歳の記憶」というのは、祖父母が住んでいた嘉穂郡桂川(けいせん)町の情景。炭鉱の閉山に伴い、母の兄弟たちは職を求めて、愛知県豊田市へ引っ越した。当時、多くの炭鉱関係者が故郷を離れた。トヨタ自動車はまた、その目的地のひとつだった。

    あれは夏の夜だ。薄暗く小さな桂川駅前の売店の裸電球が、店先の虫取り網と虫かごを照らしている。わたしは片手にチョコボールを持っていた。それをひとつ、ふたつと食べながら、大荷物を抱えた親類たちを眺めている。

    やがて、ホームにSL(蒸気機関車)が轟音とともに入ってきた。夕闇に浮かぶ黒いSLは恐ろしいほどに力強く、汽笛の音は、途轍もなく遣瀬なかった。伯父や伯母、従兄弟たちが乗り込む。わたしは、金のエンジェルも、銀のエンジェルもいない、チョコボールを食べ続ける。

    ほどなくしてSLは、凄まじい蒸気を上げ、悲鳴のような汽笛を上げながら、ゆっくりと動き出す。列車の窓から手を振る親戚たち。母方の祖父は、穏やかでやさしく、決して感情を顕にする人ではなかった。わたしにとって、おじいちゃんいつもやさしく、穏やかな笑顔の人だった。

    そんな祖父が、動き出した列車を、涙を流しながら、小走りで追いかけるのだ。その、祖父の尋常ならない様子が、58年経った今でも脳裏に深く刻まれている。

    祖父はその翌々年、静かに、突然、この世を去った。畳に寝かされ、白い布を顔にかけられた祖父。枕元で号泣する祖母。その傍に置かれたご飯茶碗と、ご飯に垂直に刺された1本の箸(枕飯)を、不思議な思いで眺めた。

    人の死を、初めて目の当たりにした、あれは4歳の夜だった。

    楽器、、「BANGALORE CHAPTER PRESENTS WHERE RHYTHM MEETS LEADERSHIP The legendary TRILOK GURTU inanunforgettable, unforgetta inan once in a-lifetime performance」というテキストの画像のようです
    1人以上、テキストの白黒画像のようです
    1人以上、ヘナの画像のようです
    写真の説明はありません。
    シンバルの画像のようです
    シンバル、テキストの画像のようです
    真ちゅう、テキストの画像のようです
    真ちゅう、シンバルの画像のようです
    照明器具、キャンドルホルダー、屋内の画像のようです

    🎵民族の伝統や、愛国心や、地球愛がほとばしる究極の音楽。砂漠の、遊牧の、流浪の旋律、最高! 

  • 1週間足らずのデリー滞在を経て、一昨日、バンガロールに戻ってきた。今回のデリー宅は、内装工事の甲斐あってとても過ごしやすく、ようやく「自分たちの家」という存在になった。

    かつては義父ロメイシュが自身の両親のために建てた家が、ここにはあった。その家を建て替えて、4階建ての住居にしたのは、わたしと夫が出会ったばかりのころ。つまりは29年前。当時はまだ、実家の隣に、「デリー初の日本人女性」と言われた、インド人男性と結婚していたご夫人が住まわれていた。

    ダディマ(父方の祖母)と彼女は数十年に亘って親友同士だった。2001年に我々がデリーで結婚式をした際には、彼女と、彼女の息子が出席してくれた。わたしと夫が出会う以前から、夫の親族は各方面で、日本との関わりがあった。

    過去を振り返るにつけ、わたしと夫は出会うべくして出会ったのだと、渦巻くご縁を思う。

    1人以上、テキストの画像のようです

    2007年4月にダディマが他界して、2020年1月に義父が急逝して、それからパンデミック時代を経て、ようやくこのたび、片付けや内装工事が完了した。

    ダディマが残した、50年、いや100年近く使われてきた家具は、あちこちが傷んでいた。

    損傷の激しいものは、家具修理の職人さんにお願いして修繕。磨き、張り替え、直し、削り、塗り替え……と、手を加えてもらった。するとどうだろう。何もかもが、見事に新品のごとく生まれ変わった。

    ソリッドウッド(天然木)の家具は重くて重厚感があり、決して使い勝手がいいとは言い難いが、時を重ねてなお味わいを漂わせる「侘び寂び」がある。

    さすがにカーテンはすべて取り替えたが、それ以外はほとんど「修繕」ですんだ。こういうことが手軽にできるのも、インドのよさである。あとは、ゲストルームのマットレスを新調すれば、友人らを泊めることもできる。

    福岡に帰る家はなくなったが、デリーの帰る家は整った。不思議な一年。やはり還暦とは節目の年なのだと改めて思う。

    ビリヤニの画像のようです
    ケーキの画像のようです

    今回、この落ち着いた「我が家」で、ご縁ある友人たちを招いての宴を催した。ゲストは、バンガロール時代初期に出会ったかつてのバンガローリアンたちと、昨年の「インド日本フォーラム」を契機に、お近づきとなった安部夫妻だ。すでにバンガロールで、そしてデリーでお会いしてきた。

    2006年にバンガロールで出会って以来、20年近い付き合いとなる志乃さん。ミューズ・クリエイションの同志としても、数えきれないほどたくさんの時間を共有してきた。彼女は一時、シンガポールや日本を経て、再びバンガロールに戻って勤務されていたのだが、数カ月前、グルガオンへ転勤されていた。

    今回、妻の貴子さんが日本に一時帰国されていてお会いできなかったのは残念だったが、ヤクルト王子が単身で来てくれた。彼らとも出会って15年以上の歳月が流れた。何度となく集っては飲み食いをしたものだ。中でも忘れられないのは新年会。インドで初めておせち料理を作り、昼間から飲んで食べて、そして歌って、楽しい午後だった。妻の貴子さんとは、ミューズ・クリエイション創設以前に「ローカルフード探検隊」を結成していて、夕子隊員含め数名で、あちこちのローカル食堂を探検したものである。

    暁子さんとも気付けば10年以上のお付き合いだ。特にパンデミック時代は、バンガロールに残った数少ない日本人メンバーとして、ミューズ・クリエイションの活動に積極的に関わってもらった。長男の聖司さん(ドラム)とは「NO BORDERS」というバンドを組んで、ONE OK ROCKのコピーをスタジオで練習して「ほぼ無観客ライヴ」をやった。CINNAMONで静かなクリスマスバザールもやった。

    ……思い出は芋づる式に蘇る。

    20年以上綴ってきたブログや、5年前からはじめたYoutubeに残した記録は、今、そして未来の宝物だ。今日はそれらを読み直し、見返すなどして、ご縁の糸を辿った。決して頻繁に連絡を取り合うでも、会ってきたわけでもない。けれど、ご縁を繋ぐために、お互いが、働きかけてきた。

    この夜は、デリー宅の執事的ドライヴァー兼料理人であるTejbeelが腕を振るって御馳走を作ってくれた。彼には娘二人と息子一人がいるが、ロメイシュ・パパは学費を支援してきた。三人とも大学に進学している。

    中でも長女は、ムンバイ大学で医学部に進み、バイオケミストリー(生物化学)の博士号を取得し、現在ポスドクという、非常に優秀な女性に成長されている。

    パパの存命中は料理人がいたが、他界後は、Tejbeelが料理を作ってくれるようになった。すると、彼の料理が、歴代料理人の誰よりも上手でおいしいことに驚いた。驚きつつも、これまでは普通に食べていたのだが、今回「どうして料理が上手なの?」と尋ねた。

    すると、特に習ったわけではないけれど、若いころから料理が好きで、楽しいのだという。なんというか、いろいろと考えさせられることの多い人生だ。

    * * *

    さて。夕食の後は、自ら準備したケーキで(たまたまロウソクが6本セットでついてきた)、自らの還暦を祝い、喜びと感謝をシェアさせていただいた。せっかくの還暦ファッション。

    国境を超えて、いや州境を超えて、こうして気軽に会えることを、本当に嬉しく思う。ありがとう。また会いましょう!

    テーブル、屋内の画像のようです
    屋内、リビングの画像のようです
    サイドボード、屋内の画像のようです
    写真の説明はありません。
    テーブル、屋内の画像のようです
    ディッシュラック、コーヒーカップの画像のようです

    🇮🇳🇯🇵 デカン高原の片隅で。ほぼ無観客ライヴ&Youtube動画試写会@1Q1/ October 10th 2020

    🇮🇳🇯🇵Memories of Muse Charity Tiny Bazaar 2020/ 小さなチャリティバザールの、小さな思い出@シナモン

    🇮🇳🇯🇵 Wasted Nights/ ONE OK ROCK, Cover by NO BORDERS@Music House, Bangalore, INDIA

    🎄2006年のメリークリスマス。(しのさんも参加の19年前の記録)